SSブログ
前の10件 | -

高速道路が120キロ/H制限になると軽自動車は追い越し車線を走れなくなる不思議 [雑学所感]

高速道路が120キロ/H制限になると軽自動車は、実質、追い越し車線を走れなくなるらしい。

からくりはこうだ。

1963年の名神高速開通時から変わってなかった100キロ制限
既に、クルマも道路も性能は大きく上がって、100数十キロに十分対応する。

ではなぜ今まで50年以上も同じ制限速度だったのか?
それは単に、警察がスピード違反を取り締まりやすいからだという。

ほとんどの車は、100キロ以上は楽々と出すことができ、これを取り締まることにより、違反ドライバーが支払う交通反則金が警察の特別会計を潤わせていた。

ところが、この特別会計が2014年に廃止されたため、事情が変わった。
スピード違反を取り締まる“うまみ”が無くなったわけ。

ただ、全く取り締まりをしないわけにはいかず、また、反則金が地方公共団体の交通安全対策費の原資となる構図は変わっていない。

となると、120キロ以上で走行するクルマを危険を冒して取り締まるより、後続車が来ているのに追い越し車線をのろのろ走る“遅い車”をターゲットにした方が楽チン!

例えば、左車線を80キロで軽箱バンや大型トラックが走っていたとする。
このクルマを追い越そうとすると、現実には瞬間的に100~120キロで追い抜くことになるが、100キロ制限の場合、このスピードで右車線を走ってももちろん“遅い車”とはならない。

ところが120キロ制限になると話が別。
右車線を、120キロ以上のスピードで走行する車両が増えるため、100~120キロで追い抜くクルマは、“遅い車”になってしまう。

現在、ターボ付軽四動車でもスピードメーターは140キロまでしかないものがほとんど。
ターボ付車両だと限界近くまで走って、なんとか追越し可能だが、ノンターボだと、よほど右車線が空いてないと追い越しは不可能になってしまう。

もちろん、普通車でも性能が悪いクルマは同様になる。

となると、左車線を80キロで走るクルマの列ができ、右車線は120キロ以上で走るクルマの列ができるようになる。
この状況では、軽自動車は、左車線を走る何台ものクルマを追い抜くことが益々できなくなり、右車線を走るクルマは、左車線に戻るとたちまち40キロの減速を強いられるため、なかなか戻りづらくなるだろう。

かくして、左車線と右車線の『格差』が生まれ、軽自動車は高速道路は実質『追い越し禁止』になる…

今はまだ机上の空論かもしれないが、こういう事態になることは、十分予想される。

タグ:高速道路

「世界三大悪妻」は誰の奥さん? [雑学所感]

まず、悪妻の定義だが、
「夫が結婚したことを後悔するような品行の妻(家でくつろげないなど)」
もしくは、「傍目から見てあのような品行の女性とは結婚したくないと思うような妻」
…となっている。
今では、さしずめ鬼嫁と言ったところか。

まず、一人目は『ソクラテスの妻』
西洋では悪妻の代名詞となっているらしい。

二人目は『レフ・トルストイの妻』
ロシア文学を代表する文豪トルストイが、臨終の直前、妻だけは近づけるなと遺言したと言われている。

三人目は『ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻』
浪費家であったことや、モーツァルトが死んだ時、別荘で遊んでいたといわれている。

歴史上、偉大な人物たちといえども、家庭ではただの“夫”に過ぎないのか?
どんなに偉い人でも、奥さんから見たら、きっと自分と同格かそれ以下にしか見えないのだろう。

日本の女性も約45年前の「ウーマンリブ運動」を経て、最近は「オヤジ化女子」が急増しているとのこと。
かつて「大和撫子」と言われた女性たちは、もう日本中のどこを探してもいないかもしれない。

それでも、諸外国から比べたら、まだまだ日本女性のほうが素晴らしいと思う。





・・・きっと。

「紙を43回折ると月に届く」? [雑学所感]

「紙を43回折ると月に届く」という雑学がある。
地球から月までの距離は約38万キロもあるが本当だろうか?

紙の厚さは約0.08ミリなので
1回目 0.08×2=0.16
2回目 0.16×2=0.32
3回目 0.32×2=0.64
4回目 0.64×2=1.28
5回目 1.28×2=2.56


10回目 40.96×2=81.92


20回目 41943.04×2=83.886.08 


30回目 42,949,672.96=85,899,345.92
ミリをメートルに換算すると、85,899.34592m


40回目 87,960,930.2216m
    メートルをキロに換算すると、約87,961km
41回目 87,961×2=175,922km
42回目 175,922×2=351,844km
43回目 351,844×2=703,688km

42回折った段階で、ほぼ月に到達しかける計算になっている。

「倍」のパワーというのは、本当に恐ろしい。 

それについて面白い逸話があるので、紹介しておこう。
昔、豊臣秀吉の御伽衆として仕えたといわれる、曽呂利(そろり)新左衛門という人物がいた。
秀吉から褒美を下される際、何を希望するか尋ねられた新左衛門は、今日は米1粒、翌日には倍の2粒、その翌日には更に倍の4粒と、日ごとに倍の量の米を100日間くださいと申し出た。
(米ではなく、1文・2文…という説もある。)

「何を欲のない事を」と、秀吉は簡単に承諾したが、日ごとに倍ずつ増やして行くと100日後には膨大な量になる事に途中で気づいた。
秀吉は曽呂利新左衛門にお願いして、他の褒美に変えてもらったという。

ちなみに、1日1円、2日目2円で計算すると、41日目で1兆円を突破した。
(我が家の電卓ではこれ以上の計算はできなかった。)

誰か、私にご褒美をくれると言ってくれないだろうか…



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

国道で一番長い直線区間は? [雑学所感]

北海道札幌市から旭川市に向けて走っている国道12号は、北海道札幌市を起点として、江別、岩見沢、美唄、砂川、滝川、深川の各市を経て旭川市にいたる延長約147kmの幹線道路。

その中の美唄市光珠内町292から滝川市新町6丁目までの延長約29kmが、国道で一番長い直線区間だ。

北海道の主要道路の多くは、町並み形成よりも先の原野や原生林状態の土地の時代に開削されており、直線道路ができやすいという歴史的背景があるらしい。

今は行ってみたいユニークな国道1位になっており、「いつも視界の悪い街中ばかり走っているから気持ちよさそう」とか「景色をみてみたい。日本じゃないみたいと友達が言っていた」などの感想が寄せられている。

一方、信号機の間隔が長く、夜間は国道12号側がすべて青になっていることも多いらしい。このため、夜間はスピードを出す車が多いことで知られており、地元では、夜間に大きな音を出して走るなど暴走行為をするドライバーがいるとの声もあるとのこと。

いろいろあるが、気候のいい時期にオープンカーやバイクで走ったら、さぞ気持ちがいいのでは…。
羨ましすぎる!
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:自動車

「ヌーディストビーチ見たさに乗客が片側に集まったせいで船が傾き沈没したことがある」? [雑学所感]

「ヌーディストビーチ見たさに乗客が片側に集まったせいで船が傾き沈没したことがある」という雑学がある。

調べてみると、実際にあったことらしい。

世の中に海難事故は多々あっても、ヌーディストビーチみたさに乗客が片側に殺到し、あげくのはてには転覆&沈没したという、極めて珍しい事故だった。

この事故が起きたのは、アメリカのテキサス州にある、トラプスという湖。

その日、約60人の乗客が遊覧船で周りの風景を堪能したいた。

遊覧船が「ピッピーホロー」というヌーディストビーチとして知られる場所に近づき、やがて浜辺で日光浴するヌーディストの姿がみえはじめた。

ひとりの観光客が、「ヌーディストがいるぞ」と声を張り上げたとたん、約60人もの乗客が船の片側に殺到!

やんやの歓声をあげながら、素っ裸の男女をみているうち、ついに船はバランスを崩して転覆し、乗客全員が湖に投げ出されたとのこと。

しかし、湖に落ちた乗客たちは、まもなくヌーディストたちに助けられた。

ヌーディストに抱かれて救助される乗客たちは、誰もがニコニコしていたという…?


もし自分がその船に乗っていて、素っ裸の女性に助けられたら…

恥ずかしがりながらも、やっぱり見ちゃうような気がする(←人としてどうかと)
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「北海道大学は、広すぎて冬は遭難しそうになる」? [雑学所感]

「北海道大学は、広すぎて冬は遭難しそうになる」という雑学がある。

実際に行ったことがないので、ネットでその状況を綴った書き込みやツイートを集めてみた。

『日本の大学の中で、キャンパスや研修施設などを総合した敷地総面積が一番大きいのは、いったいどこか?ご存じだろうか。
そう、北海道大学である。
約6億6000万平方メートル、ちょっと聞いただけでは想像もできない。
演習や研究のための施設や広大な森林など、キャンパス以外の施設の面積がとてつもなく広いからだ。
同大学ウェブサイトによると、日本の国土の約570分の1の面積とのこと。
札幌キャンパスだけで約177万平方メートルという。
6億6000万、と比べると177万は大したことないように思えるが、それでも東京ドーム38個分に達する。

同大学札幌キャンパスがいかに広いかが、2015年4月25日、次のようにツイッター上に発信され、注目を集めている。
【北大がどれだけクソ広いのか、東京の地図に重ねてみると神田駅から秋葉原はおろか、御徒町をも越えて上野は旧博物館動物園駅にまで達する。
受験生が迂闊にクラーク像に寄り道して迷子になったり、冬場に遭難者が出る理由がわかるだろうか】』…とある。


『トリップアドバイザー』という、旅の口コミを掲載しているサイトで北大を検索してみると、

【“大学を下見に行ってきました”

子供が受験するということで、大学を下見に行ってきました。
歩道は、凍っています。雪国素人には、普通の歩行すら大変です。
早速、スーパーへ行って、冬用シューズを買いました。 】

…どうも冬には専用シューズが必要なようだ。


その他のツイートは、以下のとおりである。

【真冬に出張で土地勘がまだないころ、北大の中を歩いていたとき、猛吹雪になってホワイトアウトした時は身の危険を少々感じましたよ(笑)。 】

【吹雪の中北大農場内を横断するのは自殺行為。ホワイトアウトするし、広すぎて視野に何も写らないし、なにより家畜逃亡防止のトラップもあってだな… 】

【センター試験会場が北大だったけど迷って死にかけた記憶がある。】

…もはや、雑学のレベルを超えた、厳しい現実のようだ。
タグ:北海道大学

「タイタニック沈没を予言した小説があった」? [雑学所感]

「タイタニック沈没を予言した小説があった」という雑学がある。

タイタニック号が沈没したのは、1912年4月。
その14年前、ある小説が出版された。

絶対に沈まないはずの、世界最大の豪華客船。
3つのスクリュー、時速24ノット。

乗客は超一流だが、救命ボートは数が不足。
出港して4月のある寒い夜、氷山にぶつかって沈む。

モーガン・アンドリュー・ロバートソン著の「むなしさ(原題『フューティリティ』)」という小説で、船名はタイタン号だった。
全長もトン数もほぼ同じ設定だった。

ロバートソンがこの小説を書いた当時、世界にはまだこのような客船は存在していなかったのだが、彼は予知能力でも持っていたのか?



゚゚゚゚゚-y(^。^)。o0○ プハァー



実は、ロバートソンが1898年に書いた中編小説『むなしさ(フューティリティ)』は、 タイタニック号の事故が起きた直後の1912年に、 『フューティリティ、もしくは、タイタン号の遭難( Futility, or The Wreck of the Titan. )』とタイトルを変えて、再刊行されていた。

その際に行なわれたのはタイトルの変更だけではなく、小説の内容にもいくつかの変更が行なわれ、項目数も増えていたらしい。

つまり、ロバートソンの創造したタイタン号が細部にいたるまでタイタニック号に似ていたのは、フィクションの方が現実の事件や当時最新の造船技術に合わせて書き直されていたからだった。

なんだか、タネのわかった手品のようで、まさしく「むなしさ」を感じる。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「かくれんぼは江戸時代『大人の遊び』だった」? [雑学所感]

「かくれんぼは江戸時代『大人の遊び』だった」という雑学がある。

「かくれんぼ」の起源は、中国の唐時代に宮廷で行われていた「迷蔵」と言う大人の娯楽だったといわれている。

広く複雑に入り組んだ宮廷の中で、男女関係なく普通の遊びとして大人も楽しめたので、かなり流行した遊戯だったようだ。

これを平安時代の初期、遣唐使に従い唐で学んだ僧侶が日本にもち帰った。

やがて江戸時代には、子供の遊びとして全国に普及していたようだ。

同時に、子供たちだけでなく、大人の遊びとして庶民の間にも広がった。

大人の遊びの方はというと、山や森に女性が隠れ男性が捜すというスタイルで、見つけた男性と見つかった女性は文字通り「大人の遊び」を行ったらしい。

江戸時代のおおらかさが伝わってくる話ではある。

もちろん現在では、「大人の遊び」としての遊び方は廃れているが、考えてみると結構ドキドキする遊びではなかったのだろうか。

普通のかくれんぼにある、絶対見つけようと辺りを捜す楽しさ、じらすように隠れる楽しさ。

そして、見つけ、見つけられた後のオトナの展開…

妄想が止まらなくなると困るので、この辺でやめておこう(笑)。

「宮本武蔵は、実は女好きだった」? [雑学所感]

「宮本武蔵は、実は女好きだった」という雑学がある。

吉川英治の小説「宮本武蔵」では、”お通”の切ないまでの恋心を、武道に生きるために、武蔵はお通を拒み続けていた。

しかも生涯独身で通し、武術に女や家庭は百害あって一理なしと孤高に生き抜いた姿に感動した方も多いと思う。

ところが、武蔵は結婚はともかく、女に無縁であったのかというと、史実はそうではないようなのだ。

実際の宮本武蔵は、江戸の吉原で、毎日をエッチ三昧という乱れた生活を送っていたらしい。

これは吉原の創始者である庄司甚右衛門の孫が書いた日記(書物)の中に記載されている。

それも一級の花魁ではなく、「雲井」と言う少しレベルのおちる女郎だったらしい。

宮本武蔵による、この吉原でのセックス三昧の時期は、寛永15年(1638年)の事らしいので、武蔵の年齢から行くと初老の年代に入っていたのに、この乱行!

しかも、何人かの遊郭の主人を剣術の弟子にしていたというから、根回し上手が伺える。

後日、島原の乱が勃発すると、武蔵は黒田家の見回り役として出陣する事になったようで、雲井にいとま乞いをする為に揚屋甚三郎の許へ通い、数日間、雲井とラブラブしていたとの記述がされている。

雲井からはその時、餞別として紅鹿子の小袖を裏にあしらった黒襦子の陣羽織をプレゼントされたらしく、結構お洒落でもあったようだ。

ストイックで、孤高の存在感のある人生を送ったのは、ひょっとして小説家吉川英治の方?

「ディズニーランドで万引きすると、出口で警備員に『夢の世界はここまでですよ』と言われる」? [雑学所感]

「ディズニーランドで万引きすると・・・出口で警備員に呼び止められ『夢の世界はここまでですよ』と言われるらしい」という雑学がある。

私自身は、ディズニーランドに一度しか行ったことがないので、全くわからない。

ここは、Yshoo!知恵袋の力を借りることにしよう…
(同様の質問に対する、回答)

「ディズニーランドから出る時ではなく、お店から出る時に捕まります。
保安官(外資系の企業ですから・・・)に両手をがっちり固められて、引きずられていく学生服の馬鹿を見た事があります。
偶々なのか知りませんが、バックステージ(従業員専用の出入り口)の入口近くに成るまで待っていたように見えました。
で、バックステージの入り口で話しかけられ、両腕をガッチリ固められて消えて行きました。
まぁあんまりゲスト(客)に見られたくないシーンですからね。」

「出口を出て初めて現行犯なのです。
だからお店を出る時に見つかっていれば捕まります。
現行犯は何人でも逮捕できるのです!それが法律です。
ディズニーランドの出口というのは伝言ゲーム式に流れた拡大解釈の噂です。
なんならディズニーランド内のお店に聞いてみてください。
私の言ってる事が正しいと証明されます。」

「『夢の国で万引きしても捕まらない』という噂もあるようですが、私服の警備員が見張っていて…支払いをせずにお店を出ると声をかけられるようですよ。
その後はキャストしか入れない裏道から警備室へ連れて行かれるそうです。
何年か前に修学旅行で来ていた中学生が集団万引きしてから厳しくなったようです。
万引きは現行犯が原則ですから、ゲートを出る時となると万引きしてから時間が経ちすぎていますし、他のお店に行ったり等で立証が難しくなってしまうとおもいます。」

なるほど、ごもっとも!

それでも、『夢の世界はここまでですよ』は、どこかロマンのある雑学のせいか、全く憎めないのは私だけだろうか?

前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。