SSブログ

「宮本武蔵は、実は女好きだった」? [雑学所感]

スポンサーリンク




「宮本武蔵は、実は女好きだった」という雑学がある。

吉川英治の小説「宮本武蔵」では、”お通”の切ないまでの恋心を、武道に生きるために、武蔵はお通を拒み続けていた。

しかも生涯独身で通し、武術に女や家庭は百害あって一理なしと孤高に生き抜いた姿に感動した方も多いと思う。

ところが、武蔵は結婚はともかく、女に無縁であったのかというと、史実はそうではないようなのだ。

実際の宮本武蔵は、江戸の吉原で、毎日をエッチ三昧という乱れた生活を送っていたらしい。

これは吉原の創始者である庄司甚右衛門の孫が書いた日記(書物)の中に記載されている。

それも一級の花魁ではなく、「雲井」と言う少しレベルのおちる女郎だったらしい。

宮本武蔵による、この吉原でのセックス三昧の時期は、寛永15年(1638年)の事らしいので、武蔵の年齢から行くと初老の年代に入っていたのに、この乱行!

しかも、何人かの遊郭の主人を剣術の弟子にしていたというから、根回し上手が伺える。

後日、島原の乱が勃発すると、武蔵は黒田家の見回り役として出陣する事になったようで、雲井にいとま乞いをする為に揚屋甚三郎の許へ通い、数日間、雲井とラブラブしていたとの記述がされている。

雲井からはその時、餞別として紅鹿子の小袖を裏にあしらった黒襦子の陣羽織をプレゼントされたらしく、結構お洒落でもあったようだ。

ストイックで、孤高の存在感のある人生を送ったのは、ひょっとして小説家吉川英治の方?


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。